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09 2013

人間の姿の基本型

昨日の稽古で「坐る」という行為をやってみました。
坐る、という単純な行為の内容を充実させ、表現にしてみたいと思っているからです。

これはなかなか難しいようです。
はじめは手も足も出ない、というくらいどうしていいのかわからない。
たいていの踊りやダンスは「立って」するのが当たり前になっていて、
「立ち姿」の難しさというのはよく言われるけど、
「坐り姿」というのはそんなに言われないよね。
私は坐り姿にとても魅かれる。


以前「坐の文化」ということについて書いたことがあるけど、今回はそれを深めてみたい。


「坐の文化」というのはアジア圏に特徴的らしい。
その最もわかりやすい例は仏像の坐った姿で、蓮華座と言われるものだ。
西洋の宗教画をみると、坐っているものもないとは言えないだろうけど、殆どが立っている。
坐っているとしてもそこに形而上にまでいたる意味合いはない。
人は横たわった状態からいきなり立つことはなく、その途中に必ず「坐」の状態があるので、これを表現にしたくてたまらない。
アジア圏の場合、「坐る」というのは文化になっているし、「美」になっている。
仏像の坐っている姿の、なんとも言えない「くつろぎ感」はアジア(東洋)に特有のもののようだ。
( 時代をうんと遡れば東洋と西洋の別の景色が見えてくるのでしょうが )
これは身体が文化になっていることの証明のような気がする。
人間がカラダをもって世界にかかわる基本のありよう、のようなもの。
坐っただけでそこに世界が出現し、豊かにひろがり、実っていく。
花が咲くように、空間が花開いていく。


すべての日常動作は所作になりうる、ということを以前書いたけど、
それ以外に人間の体の姿のもっとも基本であるものを、私はよく考えた。
それは、

横たわる (寝る)
坐る
坐ったところから立ちあがる
立っている
歩く


といったものだ。
これ以外に「姿勢」「しぐさ・身振り」というのもつけ加えたいな。

動物がただ横たわったり坐ったりしているところが美しく、「存在の姿」になっているように、
これらは、人間が確かに存在することの必須条件だと思うからだ。
これらの一見なんでもない基本がちゃんと出来ていることが、人間がその存在を確かなものにするために必要と感じている。
飛んだり跳ねたりするダンスが悪いというのではなく、そういうダンスはすでにやっている人が沢山いるから、私はその手前の基本型をやりたいと思った。
ただ型としてそれがあるからする、ということでなく、自分の内側から納得するために「個の行為」としてやってみたいのだ。
時間はかかるだろうけど、苦労しながら自分の体を定位していければ、生きる姿勢につながっていくだろう。
それは世界のなかに自らを定位していくことだからだ。


横たわっている時、人はほんとにくつろいで自らを投げ出しているのだろうか ?
坐っている時、ある美しい「おさまり」「定位」を人はしているのだろうか ?
立ちあがる時、世界はあなたにとって、いかなるものとして生まれていくのか ?
姿勢とは、世界に対するかかわりの原点ではないのか ?


こういう基本型を考え稽古するとき、私は痺れるような歓びを感じる。
世界に抱きしめられている、
世界を抱きとめている、
と感じる。


でもこの基本型というのはとても難しい。
単純な動きを表現にまで高めるには、インナーマッスルの使い方をはじめとする身体運用の方法のほかに、思考能力も必要になってくる。
あなたは世界とどうかかわりたいのか ?
世界を愛するとは、身体としてどういうことなのか ?
体が「微分積分」できるまでに粒子化されている、ことが必要だ。
どこまで粒子を細かくできるか。
この粒子の「キメ」のなかに世界があるのだ。
これこそエクスタシーの原動力。
なにものも失われることなく、すべてのものが粒子の網目のなかに存在する。
( これはほとんど物理学の世界かもしれませんね )


立つことができる舞踊家が少ないように、坐ることも又難しいです。
そして、坐ったところから立つ、までのプロセスを充実させることも又難しく、
なんだか足がこんがらがって、わけがわからなくなるんです。
それが出来るようになれば怖いものなし(笑)
支点をつくらずに水が立ちあがるように、しかし人間の体特有の美しさをもって、
立ち上がってみたいものです。
( 私もまだ出来ていません ふふ)


これからもこの基本型を土台にして、その上で、
手足を動かす、自由な動きを表現にしてみたいですね。
そうして少しづつ人は自由になり、 
花にもなり 鳥にもなるのだ 
と思います。
龍にもなるのだ
と。

- 4 Comments

奥山光明  

所作と踊り

最上さま
坐る文化は東洋特有でしたか。鋭い着眼点ですね。
世の中には「礼法」というのもあるようですから、所作についてオーソドックスなものをやりたいのか?あるいは逆にエキセントリックなものをやるのか?という点は、表現をする上で問われてくると私は思います。
パントマイムの場合には、所作そのものを誇張しているようにも思えるのですが。
なんにしても、日々心身共に健康に暮らしたいと、願わずにはいられませんです(笑)

2013/08/16 (Fri) 07:19 | EDIT | REPLY |   

もがみ  

坐る・・・

奥山さま
坐の文化が東洋特有かどうかは根拠はないのですが、なんとなくそんな気がしませんか? 坐ってとても魅力的な身体文化だと思います。
パントマイムはそもそもの起こりは深いものだったようですが、今はエンタメ化しているのかなぁ なんでもそうですが、現代は「上げ底」状態だと思うんですよ。本来の意味が見えないことが多い。
健康が基本、これは万人に共通で疑う余地がないのがいいですよねーー

2013/08/17 (Sat) 06:55 | EDIT | REPLY |   

奥山光明  

深いですね

最上さま
そうですね、座禅やヨガは欧米でも生活様式として、広く普及しているようです。これも健康志向でしょうか(^^)
坐の文化は “地に根を張る” ことの比喩でもあると思います。
そういう意味では深いですよね。
もちろん自分は根無し草であり、じっさい人間の基本型からも、かなり逸脱しておりますが(笑)

2013/08/17 (Sat) 15:14 | EDIT | REPLY |   

もがみ  

根なし草

奥山さま
欧米の人たちがヨガなどをやるようになってずいぶん時間がたちますが、いぜんとして西洋人と東洋人の体はすごく違いますね。体というのはなかなかかわらないものですね。足などが長くなっても。
現代人は多かれ少なかれ根なし草ですから、だからこそ身体が重要なのかな、と思ってます。身体は時間がかかるので、現代のようなスピードの時代には見過ごされがちですね(:_;)

2013/08/19 (Mon) 06:28 | EDIT | REPLY |   

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