12 2015

さいきん思うこと

今、私の稽古には平均すると10名弱の人が来ている。
狭い稽古場は汗のにおいでムンムンになる。
ずっとこの人数が続かないとしても、舞踏の稽古にしてはかなりの人数だ。
長い間ひとりで公園で稽古したり、生徒さん一人と私とでふたり稽古していたので、
今の状態はとても嬉しいし、充実している。
わけのわからない不思議な稽古をしていることを思えば、この人数はすごい。

でも最近、時々思うんだ。
私は今、未踏の地に漕ぎだした船の船長さんみたいなものだけど、
この航海には羅針盤もないので、重荷に感じることもある。
歳をとったので力みとか気負いはあまりないけど、
未踏の地への航海は、ほんとはもっと若い活力のある船長さんのほうがいいと思う。
優秀な船長さんがいれば、私はよろこんでサポートの側にまわるだろう。

それにこの稽古は、生徒さんにとって果たして幸せなのか、とふと思うこともある。
この稽古をしたって舞台人になれるわけじゃないし、この先どこへいくのかも分からない。
着地点が見えない。
演劇の人は従来型の演劇がしにくくなるだろうし、
踊りの人はふつうに踊れなくなってしまう可能性がある。
この稽古はすればするほど社会的には不利になるかもしれない。
社会的ボジションがないことは、私の力では変えようがない。

人は「未踏の地への航海だからこそ価値がある」とか言うかもしれないけど、
実際にそれをやる力のある人なんてほとんどいないと思うんだ。
商品を売るとか、地域を活性化するとか、セラピーとかの具体性があればいいけど、
私のしていることは「目に見えない」ものだから、社会性の獲得のしようがない。

稽古じたいはとても楽しくて、なんの不足もないのだけど、
船長さんをするには私は歳をとりすぎていると思う。
霊性の追求なのだから、ほんとは歳をとっているほうがいいのかもしれない。
だけど実際問題として体力と気力がいる。
ボジションもなく収入にもならないことを人に教えることが、時々つらい。

まぁ いつもつらいわけではない。
オトナが無償の創造的遊びをしているのだから、これはメッチャ楽しい。
自分以外にも、こんなことが楽しい人がいるんだなと思うと、ちょっと驚異だ。
大のオトナが10人以上で屋外で、アニミズムというわけのわからない踊りをする。
古代人の濃密な生を演劇的に追体験してイメージの力を養う。
動かないでほとんど止まっている体のなかで、動くものを観察し続ける。
空間が息をし始め、星雲のように動き出すのを知る。
その他もろもろ、私には楽しくてたまらない。

としとってヨロヨロの船長さんになってしまうかもしれないけど、
私が倒れたら介抱してね(^_^)
それと、船長さん募集します。ほんとです。
ただし審査は猛烈にきびしいです。なんたって霊性の問題ですからね。
お給料も払えません だはははははは

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