29 2015

変性意識

変性意識については今まで何回か書いてきた。
いくら語っても尽くせないし、人に伝わった実感もないのでまた書く。

私が舞踏をとにかくも続けて来られた理由のひとつが、この変性意識。
その開放感と快感があったから。
基本的には、ドラッグなどで得られる変性意識状態と同じだと思うけど、
その程度ははるかに軽微だ。
気をつけないと自分でも気が付かない。
気がついたらそれを定着させる努力をしないと、すぐに失われる。
稽古などを通じて「育てる」努力が必要だ。
軽微だけど確実だというところに、舞踏の変性意識は頼りになる。
意識的にそれを求め価値づけ育てる事ができる。

なぜ大切かというと、それは、
「この現実とは別の見方で世界を見る」行為だからだ。
しかも具体的だ。書物の世界の出来事ではない。
それはドラッグによる効果のように、現実との齟齬がない。
いや齟齬はあるけど、現実と折り合いをつけられるし、着実に育てることが出来る。
現実に生きながら、二重構造としてそれを生きる事ができる。
ドラッグで究極の世界を垣間見たとしても、
この現実界で生かせなければ意味はなくなる。
この現実を生き抜かなくてはならない、という冷静さと覚悟と計算がなければ、
どのようなぶっとんだ体験も意味がない。
ドラッグ・カルチャーの中で生きたければ、そのようなネイティブ世界に骨を埋めることだ。
日本にいる必要はない。

変性意識を文化装置として組み込む知恵は、人類には昔からある。
要はそれのあらたな捉え返し、あらたな概念化だ。
それは、いつの時代も人間には必要な文化装置であると思うから。
この資本主義の、貨幣経済の、グローバリズムの、
いまいましい世界で、
世界の別のあり方を体験できることの意味は大きい。
しかも破滅することなく。

この変性意識状態で体験する世界は、
吉本隆明が「アフリカ的段階」と呼んだものであり、
ヘルダーリンが「西欧からはるか東方に遡る」と言ったものだろう。
世界の「外部」を操作するのでなく、
「内部」から、世界の枠組みをはずし解体してしまうものだと、
原理的には言える。
必要なのはおおげさな劇的革命ではなく、じわじわと確実に、
「生」を獲得することなのだ。
別の世界の可能性があるよ、ということなのだ。
もしかすると、ちょっとずらせばグローバリズムは崩壊するかもしれない。
だってもともと根拠なんてないんだからさ。
目に見えて崩壊する必要はない。
育てる価値のあるものに人が気がつけばよい。
物事は簡単には動かないのはオトナなら知っている。
ヒステリックな情熱で世界は動かない。
そして動くときはおのずと動く(他力+自力)

私が「舞踏状態」と呼んでいるこの変性意識。
初めは不安定だけど、稽古を重ねているうちに少しづつ安定して来る。
踊るときはこの変性意識が究極まで行くことがある。
エクスタシーに溶けながらも、同時にこの現実を見失うこともない、
というすぐれものだ。

たとえ軽微であっても、この舞踏状態に入ると、瞬時に世界が変わる。
軽い眩暈と同時に世界が新たに始まる。
しんと鎮まった世界でありながら、決してとどまってはいない、
ダイナミックな生成がそこでは起こっていて、
世界は定まることなく微細に動き続けている。
それは星雲のように渦巻き、
野生動物のようにエロスだ。
水のように流れ、星のように瞬く。
ブラックマターのような見えない世界に私を放り込む。
龍を予感させ、私の身体のなかに燃え上がる力を感知させる。

「飛ぶ」とはそういうことではないだろうか?
空を飛ぶ鳥とは、このような「内部」の比喩なのだと私は思う。
私たちの翼は内部にある。

4 Comments

少年  

捉えどころのないもの

捉えどころのないものだと思っていましたが違うんですね。感覚の追求と言ってしまうと語弊があるでしょうか。内部の感覚を育てる行為に思えてなりません。与えられた価値観は案外強固ですが、それに疑問を抱くことができるのは進化かもしれませんね。

2015/12/25 (Fri) 21:32 | EDIT | REPLY |   

最上  

どうも・・

少年さま
お返事が遅くなって失礼しました。
えーと、確かに始めはとらえどころがないかもしれません。段々とはっきりしてくるために稽古があります。武術と同じように繰り返すことでしか身につかないので。価値観を動かすには認識と+身体が必要だと思います。

2015/12/30 (Wed) 10:44 | EDIT | REPLY |   

少年  

今更ですが

身体の重要性、と云うのは身に染みて理解してきました。
世間の認識では相変わらず意識と身体は乖離しているようですが(私の見識が狭いだけかもしれません)、身体と認識はもっと重なり合った何かだと感じますね。

2016/01/23 (Sat) 13:30 | EDIT | REPLY |   

最上  

身体論

身体論レベルではすでにかなりのことが指摘されていると思います。問題はその具体化なので、そこで苦労しているわけです。しかし最近は、具体化においても様々な試みが出てきているように感じます。

2016/01/28 (Thu) 09:21 | EDIT | REPLY |   

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