22 2016

こんな稽古でした。

たまには稽古の内容など書いてみようかと思う。

昨日の稽古。

◯いつも稽古の導入にしている母韻斉唱

これは全員の気持を合わせると同時に、
声を長く出し続けることで簡単な呼吸法を兼ね、
日常から非日常に意識を軽くチェンジする、空間を浄化する、
などの意味合いがある。
声は振動なので、空間を叩き、あきらかに空間の質を変えると感じてる。
時によって誰も出していない音が発生したりして、面白いものです。
アイウエオのどの母韻を発声するかによっても、
身体に及ぼす効果と空間に対する広がりなどが違う。
例えばア音は空間に大きく広がり出るし、
オ音だと下方、大地の方向に深く落ちていく。
母韻は身体感覚そのもだとよくわかる。

昨日はいつも前方に出している声を、身体の内部に響かせるようにした。
人間の身体の2/3は水なので、声を内側に響かせると体の中の水が振動を受け、
体のお掃除がより効果的になるし、意識の非日常化も起こりやすい。
空間に及ぼす効果も落ち着いて暗く深みがあり、
まるで海の底に身を置くような印象だった。
声を身体内部に響かせるのは、身体の無意識層への働きかけの効果があると感じた。
これはとても大切なこと。

◯床稽古

これは稽古の基本中の基本。
床に横たわり力を抜き、「場」に対して身体を「投げ出す」
これはあまりにも深い内容の稽古なので、
ブログにも何回も書いてきたけど、改めていつか書きたいと思っている。
先日この稽古についてある生徒さんが、
「毎回ちいさく生まれ直す感じです」と言っていたけど、まさにその通り。
やるたびにに体に違う反応が起こり、これも又、
時間をかけて、身体の無意識層の発現につながっていく。
これは一連の動きを30分かけておこなう。

◯スロー

これも定番の稽古。
日常のありきたりの動作を10分かけておこなう。
(10分でなくほんとはいくら時間をかけてもよい)
たとえばコップに入れた水を呑むとか、服を脱ぐとか何でもいい。
ただゆっくりおこなうだけで意識状態も変わり、
空間と時間と身体が微粒子化される。
以前にも書いたように、その微粒子化のわずかな隙間にカミが降りてくる。
これがしびれるような恍惚をもたらし、
時によって身体の奥深く眠る人類の記憶があらわれ、感情の大波に襲われる。
この時の感情は個人の日常の喜怒哀楽とは全く別のもの。
身体の不思議をつくづく感じる。

昨日は着物をはおって、それを脱いで床に落とすまでを10分かけて行なった。
この動きはかなり難しいもので、みんなギクシャクとしていた。
まるでカカシが着物をきているみたい。
肩から着物がなかなかはがれなくて悪戦苦闘。
着物を動かすだけでなく、中身の身体をやわらかく微妙に動かす必要があるのだ。
着物というヒトガタの素材を使って、身体を練る稽古だとも言える。

するすると着物が動くたびに空気が揺れる。
着物が体をこする音や肌合いに、ふと何かを呼び起こされる。
脱いだ着物が空間にぶらさげられ、ずるっと動く。
床に落とす間(ま)もなかなかエロい。
着物が手から離れると、空気が大きくゆれた余韻が手に残る。
その余韻を、手がおのずと表現してしまう。
指がかすかに動く。まるで指が思考しているようだ。
そういう瞬間が素晴らしく、私は感動してしまう。

この稽古を見ていて面白かったのは、
ひとりひとりの身体のおどろくほどの違いだ。
若い男性は体がカカシのように硬く、動きがぎこちない。
自分の身体と服に対する無頓着さが表れている。
女性は柔らかく繊細で、佇まいがある。
女性は誰でも自分の身体を男性より深く意識して生きているものだ。
自分の体と服のあいだに女性は物語を持っている。
それがよく表れていて、楽しい見ものだ。
男性も中年になると体に色香が出てくる。
たとえ頭髪が薄くてハラがでていても、やはり色っぽいのだね。
誰しもダテに生きてきてはいないよね。

些細な動きに、その人の人生が滲み出る。
これは見ていてとても楽しい瞬間だ。
きれい事ではなく、つまらない人間というのはいない。

スローの稽古で私がもっとも注目しているのは、
日常のありきたりの動作ほど、丁寧にしていくと、
やがて動きは所作になり、儀礼になっていくということだ。
これは素晴らしい発見なのだ、私には。
どんな人間の内部からも聖性が立ちあらわれる。

そして、身体と服との関係には特別のものがある。
服と身体は互いを支え合う。
脱いだ服はその人の分身であると思った。
また着物の面白さは、誰かが言っていたけど、
それを着ることは「空気をまとう」ことであり、
体と着物のあいだには闇が存在する。

着物を着る時には闇をたたみ隠していく。
着物を脱ぐときには、その闇は少しづつ光に向けて開かれていく。
こういう所作をていねいに効果的にすれば、
それだけでそこに「劇」が生まれ、美しい映像になる。
とてもとてもエロスなのだ。

この着物を着るという稽古、同じことを2回した。
1回目と2回目に、2次元から3次元に移るくらいの変化のある人もいて、
身体が勝手に学んでいくのが面白い。
つくづく身体は面白い。

◯フリーダンス

稽古の最後にいつもおこなうもの。
その日一日の稽古を通して得た身体性と、
稽古することで作られた場が踊りを支える。
外目には踊りとは言えない、ぬるぬるふらふらとしたおかしな動きだけど、
身体の中にはなにかが起こっている、そういうものでありたいが、
なかなかうまくは行かない。
良い体験をしている人もいれば、ぼんやりとした体験にしかならない人もいるだろう。
それでいいのだ。
稽古というのは、上手く行かないことも大事。
いつも効果がすぐにあらわれ、いい気持になるわけではない。
身体とはそういうもの。うまくいかないこともいい経験なのだよ。
身体はそうやって、ゆっくりのろのろ進んでいくもの。

フリーダンスがよく出来た時はなんとも言えない開放感がある。
これほど人を癒やすものはない。
人は自分が、存在の大海原にあたたかく抱かれている、と感じるのだ。


以上、昨日の稽古でした。
実際にやってみれば、もっと面白いですよ。
人はふだんいかに身体をないがしろにしているか、わかるというもの。

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