23 2016

ドラマに見る身体

ふと思いついたこと。

映画やテレビドラマ(海外ドラマばかりだけど)の中に登場する身体。
昔に較べるとすごくリアルになっている。
犯罪物・刑事物・ミステリーなど、
死体の描写とか、人が殺されるところとか、目をそむけたくなるほどリアル。
実際よりリアルなんじゃないかと思う。
だって私は実際に人が殺されて、内蔵が飛び出すところなんか見たことないから、
リアルってのがわからない。
たぶん映像のほうが過剰にリアルなんだと思う。
これでもかこれでもかって感じ。
私はそういう時、目を閉じてしまう。
そこにはドラマの成立とは関係ない嗜好があると感じてしまう。
(高度な意味でのリアルという概念についてはここでは省く)

ベッドシーンもそうだ。
昔のような奥ゆかしさはなく、
とにかくリアルすぎて、見ていてどう反応していいのかわからない。
これも実際よりリアルなんだろう。
濡れ場のうまいある女優さんが言っていた。
「映画のなかでハードなベッドシーンやっているから、実際の私生活での自分のベッドシーンが物足りない」
そんなものなのだろうね。

それがいいとか悪いとかではなく、なぜなんだろうと思う。
物事はなんでもエスカレートするから、
以前と同じことやっていても、お客さんが喜ばないってことはあるだろう。
でもたぶんそれだけじゃない。
そこには身体に対する強い欲望があると感じる。
身体が欲しいという気持が、リアルという形で表れている。
欧米系の身体観からすると、リアル=身体 という図式があるのか。
西洋絵画の歴史を見ても、日本や東洋の絵画に較べるとリアルの迫力がある。
光と陰による筋肉の描写とか。
日本のものなんて2次元だものね。

果てしなくリアルになっていくのは、もともと限界があると私は思う。
あるところまで来たらその先はない。
映像はこれからどのように身体を描くつもりなのか。
リアルもつきつめれば、リアルから飛躍して別の次元があらわれてもいいんじゃないか。

身体をリアル方向にしか捉えられないのは西洋の限界なのか。
私にはわからない。
たぶんそれ以外の優れたものも個別にはあるのだろう。
それもよく辿っていくと、西洋とは言いきれない血筋があったりするのかもしれない。
マイケル・ジャクソンやニジンスキーが白人系でなかったように。

舞踏をしている私からすると、
身体がリアルで捉えられるその先に、まだ身体はある。
身体は「肉」だけではない。
肉としての身体の奥に、さらに広大な領域がある。
そのような身体を映像が描けるのかは素人の私には不明だし、
そういうものを観客が喜ぶかどうかは、さらに不明だ。

ただ私はリアルに偏りすぎた身体観は、人間を幸福にしないなと直感している。
身体は肉だけではない、と言うと、そういう考えは高級すぎると言う人がいるけど、
今はそうでもなくなってきた。
私の周囲にも、ただの肉ではない「身体」を求める人がかなり出てきている。
それも知的エリートだけでなく、ふつうの人が。
私の若い頃は「身体」という言葉は知的会話の中になかったことを思うと、
ずいぶん変ってきたなと思う。
表現の最先端が、気がついたら人間の最後尾にいるってこともあるかもしれないよ。

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