24 2016

舞踊と音楽 1

音楽については何回か書いた。
私はふだん音楽を聴かない。
踊りと音楽の関係がわからない。

このことがずっとひっかかっていた。
うまく言葉で説明できなくて。

最近、何人かと音楽と舞踊の関係について話をしていて、わかってきたことがある。
もともと音楽と舞踊には齟齬がある。
なぜなら身体は「遅い」
道具を使わないから増幅拡大、速度の自在、その他が出来ない。
いくら体のキレがすごくても音楽の速度にかなうはずがない。
しかし音楽はいやでも耳に入り強制力があるから、
音楽とコラボすれば身体は影響を受ける。
そして速度のズレに苦しむことになる。
身体と楽器ではリズムがまるで違う。

私は今まで見た音楽とダンスのコラボで、いいと思ったことは一度もない。
コラボは時代がくだって出てきた一種の流行で、やるのが当たり前になっている。
そしてそれは西欧型舞台表現というベースの上にあるようだ。
たとえ屋外でするにしても。
コラボをやってもいいのだが、そんなに意味があるとは思えない。
楽しんでやるぶんには何をしてもいいのだし、奇跡的にうまくいくことだってあるだろう。

以前、玉三郎さんがヨーヨーマのチェロとコラボしたのをTVで見たことあるけど、
彼ほどの才能をもってしても、どうにもつまらないものだった。
彼は伝統芸能だからムリもないのかもしれない。
でも創作舞踊だって大差ない気がする。
たいていの場合、コラボとは、反射神経の反応を示すものであって、
それじたい悪くはないけど、
反射神経的なものにはそれほど深みはないから、私は好きではない。
反射神経の反応がすぐれているからって、それは「自由」ということとは違う。
人か自由になるのはそんなに簡単じゃない。

まれに優れたものがあるとしたら、
それは舞踏手が音楽と身体のズレをよくつかんでいるのだろう。
それも稽古をよくしないと難しいのではないか。
自分の作品世界と合う音楽を最初から選んでおくというような。
ただミュージシャンとダンサーが一緒に何かすれば、
何か価値あるものができるとか、そんなことはないと思える。

既存の舞踊、フラメンコでも能でも何でも。すでに音楽とセットになっている。
それは長い時間をかけて吟味され練られたものだ。
それはコラボではない。世界構築だ。

音楽と舞踊の関係と、コラボ、は別のものなではないか、
とある人がいったけど、ほんとにそうだと思う。
身体で表現することは、道具を媒介にして表現するものとは、全く次元が違う。
つきつめて言えば身体は表現にはならない。
表現にしたければ、美術や音楽や、場の設定などをしつらえ、
ひとつの世界として構築しないと。
身ひとつで何かできるとは思えない。
身ひとつとはそれこそ現代人の勘違いだ。

もちろん身ひとつでできることはあるし、私自身それをするしかない。
だってお金も社会システムもバックにないのだから。
だけどその方法だと社会性をもつことは出来ないだろう。
それがわかっていてするしかない。
普遍性があると勘違いしなければ何をしたって構わない。
何がしかの役割はある。

私は人生かけて踊りをやっている。
そして音楽の問題に悩み続けてきた。
本気で悩んだことがある人ならわかるだろう。

そうそう「音楽は飛び道具だ」と言った著名なダンサーがいるけど、
この言葉は踊り手の実感だ。
身体は飛べないのだ。

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