03 2016

舞踊と音楽 2

舞踏を名乗っているけど、よくあるタイプの舞踏ではない。
私の場合、身体の内部から踊るという単純な意味合い。
それでまず、どうやって身体の内部に入るか、
身体の内部とはどんな感じか、ということが問題になる。
どうやって内部に入るかは、ここではひとまず置いて。

身体の内部にはいるとどんな感じか。
たぶん瞑想に似ているのだろう。
一番わかりやすく言うと、
深い海の底。あるいは音のない宇宙空間。

どこまでも降りていくと、ふと体が浮く。
そしてあくまでも静かで音がない。
かすかに音響のような余韻のようなものがある。
自分の体と外界の区別が希薄になる。
形のない世界。
有を生み出す母体である無。

だから音楽というのは舞踏にとって、
深い海の底から水面まで昇って行き、
水面から顔を出した時に初めてきこえるもの。
海の底にいる時には、
音楽になる前の音楽のタネのようなものを感じるのみ。
深い沈黙が孕むひとつの音の予感のような。

体のなかには音楽のタネのようなものがある。
それを感じている時には、外からの音楽はむしろ邪魔になる。
この感覚、わかってもらえますか ?

舞踏する者にとって、音楽は当たり前のものではない。
それはまったく新しく出会うものだから、
大げさに言えば、命のやりとりみたいなところがある。
大げさですけどね。

身体にもっとも違和感ないのは、太鼓とか笛の音でしょう。
これはダイレクトに空間を揺さぶったり切り裂いたりするから。
西洋のシンフォニーとかになると身体から隔絶する。
基本的にアジアの音楽は身体と大地からあまり隔絶していない。
西洋のものは身体から離脱して、別世界の建築物をつくっているような感じか。
それも時代が下ると違うのかもしれない。
電子音楽をよく知らないのだけど、
これは西洋とかアジアとかの区別よりも、
大地から離脱して宇宙空間に浮遊しているような印象があるけど、
なにしろ音楽に無知なのでよくわからない。
電子音楽は人間くさい感情から離れているような気がする。
身体はそこまではなかなか離脱できずにドン臭いものを残す。

音楽なしで踊るのは、現実世界とは違う内的世界の時間を、
道具を使わずに、どこまで身体単独で通せるかということなので、
これはとてもきびしい。
でもそれをやって初めて舞踏は音楽と出会うのだろう。
私はいまだに舞踏と音楽の関係がよくわからない。
こんなことをしているから社会性から遠ざかるわけだけど、
そんな稽古をよろこぶ人もいるのだから、ほんとわからないものですね。

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