13 2017

「ブロードチャーチ 殺意の町」

 → 「ブロードチャーチ 殺意の町」

これはテレビドラマ用につくられたイギリスのミステリー。
全部で8時間に及ぶので、映画1本よりずっと長いのだけど、
冗長な感じは全くしないし、見ごたえがあり、
ドラマを見るという重厚な時間の快楽を堪能させてくれた。

ブロードチャーチという海沿いの小さな町で、少年が殺害される。
すべての住人が顔見知りである閉ざされた田舎町での殺人事件、
という珍しくもない設定なんだけど、とにかくじっくり見せてくれる。
イギリスのドラマによくある地味な作りで、
海沿いの崖の上にある町の風景の素晴らしさ、ストーリーの意外性、
ありきたりの人間、の内的世界の奥行きの深さ。
これぞオトナのドラマだ。
女優さんもチャラチャラしていなくていい。
日本の刑事物みたいに、刑事役の女優さんがロングヘアーをなびかせて、
つけまつげバッチリとか、そういうペカペカしたのは好きじゃない。

イギリスのドラマの人間の描き方には、いつも感じるんだけど、
シェイクスピアの世界に通じる、演劇性があるように思う。
アクションもあるけどそれ以上に、佇まいで人間を見せるというところがある。
どんなに劇的な出来事があろうとも、おかまいなしに人生は日常としてどこまでも続いている、
というオトナの認識。
犯罪があろうとなかろうと日常は同じに続くものだよ、という、
カタルシスなき日常のちからを淡々と見せつける。
こういうところにいつも痺れる。
大げさに観客を驚かせようというところがなく、
つまらなければ見なくていいよ的な、堂々たるドラマの佇まい。
日本でそれをやったら視聴率ガタ落ちになりそうだ。
演劇の伝統が観客を鍛えているのかと思った。
観客を信頼しているのだろうな、羨ましいな。

海外のミステリーを見る楽しみのひとつが、
土地の固有性と結びついた人間のドラマがあることだ。
土地と人間の佇まいが一体になっている。
犯罪という人間の本質が、土地のなかに亡霊のように浮かび上がる。
人間のドラマが「土地」に呼吸を促しているかのよう。
ただ眺めているだけの風景としての土地ではなく。
植物が土地ごとに、その生態に固有性があるのと同じ。
生命とは土地の亡霊なのかと思う。
ネット時代のグローバル時代の均質の世界に、
こんなにもローカルな土地が生きたものとして感じられるのは、実に楽しい。
画面を通じて土地の空気が伝わってくる。

ストーリーについてはネットで検索出来るので、
ここでは私に強く印象に残った場面について書いてみる。

少年を殺害した犯人が逮捕され、ドラマは終盤になる。
夜になって、断崖のうえに村人が集まり死んだ子どもの魂を送る。
よろめきながら嘆き悲しむ母親。
村人は無言のうちに松明をかかげる。
花束(だったか子どもの遺品だったか忘れた)を海に投げる。
・・・この場面が素晴らしかった。
形として完成された儀礼でなく、まだ生々しい魂の領域での葬送の儀礼であった。
やがて遠く離れたあちこちの場所から、ポツリポツリと静かに松明の炎があがる。
それを見て胸を突かれる母親。
村全体が顔見知りだった少年の魂を送っていた。
まるで木霊が響くように。

こんな美しい場面をテレビドラマで見るとは思わなかった。
そして、この場面で、
水と火のちからが鎮魂には必要なのだな、ということを感じた。
人々の沈黙と、
断崖の上から見おろす深い水底と、
かかげられた松明とで、
たしかに魂は送られた、と思った。
火と水と沈黙の霊威によって。
突然古代が出現したかのようだった。
死者を送るという行為が、時空を越えて断崖の町を古代へと運んだ。
そこでは人々は死者と一体になって、
自分の魂のありかを、はっきりと感じていたのではないか。
魂は死者とともに彼岸へと運ばれたのだろう。

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