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05 2018

腕とはどこからどこまでをいうのだろう。
肩甲骨や手指も含み、体の器官というよりは、なにか「ひとまとまり」をさす言葉だ。
私は腕という言葉にロマンを感じる。

踊りにおいて、腕は翼である、と私は思っている。
鳥が翼を広げる時の、あのおおらかな快楽。
天からの贈り物であるかのような、寸分の狂いもないダイナミックな動き。
重力との厳密な関係から生み出され、
肩甲骨の付け根から、ぐわんと立体的に展開される、めまいのするような、えも言われぬ動き。
空気を揺さぶる、空間をつかむ、力強さ・軽やかさ。
無限の彼方まで広がっていく。

サン・ジョン・ペルスの詩に、
「あの頃、女たちの腕はゆったりと動いていたものだ」
という一節があって、それが妙に忘れられない。
ゆったりと腕を動かす女性は、今はいなくなった気がする。
ゆったりと腕を動かす女性は、体の中に甘い果実を実らせているに違いない。
ゆったりという動きは成熟の動きだ。
少年少女や子どもの動きではない、オトナの動きだ。
ゆったりと腕を動かすとき、その者の内部はその場所にとどまり、たゆたっている。
先を急いではいない。
いま・ここにある・生、のなかに過不足なくおさまっている。
それは「生きている」ということだ。
無条件に存在している。
理由も意味もいらない。
因果律も起承転結もいらない。
彼は・彼女は・わたしは・・  存在している。それだけ。

そしてその腕が、
覚悟を決めたように、翼を広げる。
あらゆる動きの始まりは、常にゼロからの第一歩だ。
鳥の翼。
空気をかき乱す。揺さぶって風を起こす。
ひとつの法則のように。
任意でありながら正確に。
ゆっくりでありながら目に捉えられない速度で。
その動きは、決してひらひらしていないのだ。
優雅で大胆で、なんのためらいもない。
おのれの存在を官能のうちに宣言する。

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